山下ふみこオフィシャルブログ

趣味

2022.05.08

心ある女性たちよ、立ち上がれ by 母の日

5/8の東京新聞「筆洗」に「母の日」の原型はどこから生まれたのか?そもそもの母の日について書かれている。それは1870年、今から150年も前の南北戦争(1861年から1865年)後の悲惨な記憶が残っていた時代のことである。

19世紀のアメリカの詩人で社会活動家のジュリア・ウォード・ハウという女性が、息子や夫が戦場に駆り出されることに反対の声を上げようと女性に向けて呼びかけた「心ある女性たちよ、立ち上がれ」と。

母親が子供に幼い時から教えた地合いや寛容の精神の教えが、戦争によって奪われてしまう。そのことが母親として許せない。

「武器を捨てよ、武器を捨てよ」そう訴え、母親の団結を求めた。現在「母の日宣言」と呼ばれるもので、ハウという女性は「平和を求める母の日」としたかったそうだ。「母の日」の出発点は反戦と女性の団結にあったという。

戦争で息子が誰かを傷つける。傷ついた誰かもまた誰かの母親の息子。世界中の母親が団結すれば戦争を止められるはず。その原点が「母の日」であるという。

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この上でダブルクリック - ここにキャプションが入ります。

ウクライナ進行が続き、国際社会はロシアを今止められないでいる。

ロシアの侵略戦争はあってはならない信じ難いものである。無力な国際社会で今起きているウクライナの惨状に目を背けることはできない。

私達は微力だが無力ではないはず。

小さな力だが、小さな力でもいいから行動に移していきたいと、今日の母の日に「Mother's heart project」を立ち上げた。

小さな一歩ではあるが、ウクライナ支援に何ができるのか、行動に移していきたい。

2022.05.08

キッズゲルニカ・プロジェクトin 富士宮

5/7 富士宮の渡邊さんから、子どもたちがゲルニカの絵を描くので見に来ないかと連絡があり、その制作場面に立ち合わせてもらうと同時に、パリから5点のうち1点を持ち帰ったウクライナの子どもたちのゲルニカの作品を見せていただく。チェルノブイリの原発事故と福島の原発事故が描かれているキエフ市のゼムリヤキ(被災者を支援する市民団体)の子どもたちの「平和の絆」

キッズ・ゲルニカとは、無差別爆撃を描いたピカソの作品「ゲルニカ」と同じ大きさのキャンバス(縦3.5m×横7.8m) に子どもたちが平和の絵を描くという国際的なアートプロジェクトです。

『ゲルニカ』(Guernica) 製作年:1937年 サイズ:349.3776.6cm
スペインの画家パブロ・ピカソスペイン内戦中の1937年に描いた絵画
内戦状態にあったスペインで、反政府側のフランコ軍を支援するナチス・ドイツ軍が19374月、スペイン北部バスク地方の町ゲルニカを無差別爆撃する。この市民を巻き込んだ殺戮を知り、描かれた作品

1995年から始まった「キッズゲルニカ・プロジェクト」今では世界50ヵ国250点余の作品が仕上がっているという。
パリ在住の渡邊さんは2017年にファッションデザイナーの高田賢三さんとウクライナ各地で子どもたちが東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、平和への思いを描いた絵画5点が世界各地を廻っているという。
Q
キッズゲルニカは地球全体をキャンバスにして平和の精神を表現し、人々をつなげていくアート。
Q
ここ富士宮市でも、平和の思いを絵を通して子どもたちに引き継いでいってずっと繋げていかなければという思いの関係者が一丸となっている姿は素直にうらやましいと思った。
沼津の子どもたちにも、今回のウクライナのことを契機に平和を自分の事として考える機会を作れたらと思う。
Q

絵は言葉が違っていてもすごく率直に訴えてくる。それを互いに理解し合い、共感できることはとても素晴らしいこと。環境や文化の背景が違っていても、愛は不変であり、子供と大人も同じです。それを子どもたちに引き継いでいってずっと繋がっていってほしい。

2022.05.05

芹沢光治良さんの生誕の日

朝、記念館には県内外から多くの光治良ファンが押しかけていた。

5/4は芹沢光治良さんの生誕の日(今から125年前)1869年5月4日を記念して、企画展【「人間の運命」とその時代】の説明があるという事で記念館に出かける。

すでに館内は県外からの方も含めて多くの光治良ファンが押しかけていた。


私は5/3に香貫山の裾にある彼が眠る市営墓地に行っていたのだが、この時も記念館の後、彼の墓地に行くという方がいた。せめてこの時ぐらいきれいにしておけばよかったと後悔したのだが・・・

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作家・芹沢光治良との出会いは、私が中学生の時「人間の運命」を読んで感銘を受け、それ以来ずっと好きな作家である。当時、中学生の私には「人間の運命」というタイトルに魅かれ14巻もある長編を夢中で一気に読んだ記憶がある。なぜ、中学生の私が彼の生き方や考えに共感できたのか、その理由も今回の説明で知ることになり、改めてその生き方や考えに感銘を受けたのである。

企画展の中に、1954年冊子「世界」に発表した「私の憲法観」と1951年の世界ペン大会の時のスピーチ原稿は、ロシアの侵略戦争で日本の平和憲法を揺るがしかねない今の状況に警告を鳴らしているかのよう思える。かつての戦争を教訓として世界平和を希求し、国際社会での日本のあり方を示している。

今、国はこの時とばかり、ロシアのウクライナ侵略で国を守るには軍備拡張をし、戦争ができるように憲法を改悪しようとしている。既に日本は敵基地の攻撃能力をもつことやGDP2%の防衛費など、世界のベスト10に入る軍事大国になっているのです

                                     沼津市名誉市民章 名誉市民第2号受賞
昭和55年4/19に授与 ↓

↓1951年(S26)スイス・ローザンヌで6/22~28まで開催された世界ペンクラブ大会に石川達三氏とともに参加。日本代表として演説をした原稿。*最後の稿は、取り消しがされた文章。(私の備忘録として記す)

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なぜ、中学2年だった私が学校図書館で借りた「人間の運命」に感動したのか。あえて子どもにも理解できる言葉を選んで執筆したのか。光治良は東京の自宅を沼津中学出身の一高生や帝大生に開放していた。その学生たちの中に和田稔という後輩であり教え子が人間魚雷の訓練中で終戦直前に事故死した。
この戦争は自分たち作家にも責任があると考え、その苦悩から彼が見出した答えは、人は其々の立場で文章を書いている。作家としての言葉、政治家としての言葉、哲学者としての言葉、人はそれぞれの立場で文章を書くだけではなく、誰にでも伝わり人々に理解されなければ意味がないのではと考えたという。

誰にでも伝わる言葉で、彼は「人間の運命」を書いたのだろう。だからこそ、当時の私にも彼の描く世界が理解できたのだろうと思う。それぞれの専門分野での言葉も必要だが、要は誰に伝えたいのか、何を伝え、理解してもらうのかだろう。

この14巻は1965年(S40)~1971年(S46)7年かけて仕上げている。

2022.05.05

照江寺の楠木トトロ

照江寺の境内には、自然石から御影石まで300基からの白隠禅師をはじめとする禅僧の書画(碑)がある。すべてひとりで彫刻したという、それも60歳から始めた石彫であるから驚きである。

「その石が途中で欠けたらどうするの?」と聞けば、「それも最初から欠けること失敗することを念頭においてやっているから、それ以上に悪くはならないよ。」と。
「欠けたら欠けたでそれも絵になるように工夫する。失敗を景色に取り入れていけば、その方がいいものができるかもしれない。失敗したらと考えるのではなく、最初から失敗するって考えているから・・・」という。

とにかく、紫陽花で訪れるときに見ていただきたいものが此処にはたくさんある。

その一つに此処で目を見張るのは楠の巨木、別名トトロである。

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これは香貫山の楠木、私はトトロと呼んで挨拶を交わしている。

此処には大木が3本。クスノキとヤブニッケイとタブノキ。

2022.05.04

あじさいの照江寺とウクライナ支援

「念ずればかなう」そんな出会いが待っていたのは江の浦の照江寺でのこと。このお寺には紫陽花の時期に友達と数回来たことがある。駿河湾東端の小さな入り江を見下ろす切り立った斜面にあり、静かなたたずまいの禅寺である。幕末(1855年12月)には漂着したロシアのディアナ号プチャーチン提督一行の宿泊寺と記されている。

毎年紫陽花の時期になると、市内はもちろん県内外から2000人以上の方がお見えになるという。今回、ご住職はウクライナの戦況を見るにつけ「何とか自分にできることはないだろうか?」と居ても立っても居られない気持ちになり、この紫陽花の時期5/20~6/14までをウクライナ支援のために準備を進めている。

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ご住職は「この歳になって今まで思ってきたことが現実になって、会うべき人や会いたい人が次から次にかなっている。今までの人生の中で、今になって華が開いている気さえする。私はまだまだやりたいことが山ほどある。私のことをくそ坊主という人がいるけど、そう言ってくれるのは嬉しいねぇ~そういう人に限ってまた来るんだよね・・・」と屈託のない笑顔で嬉しそうに話される。

「私がこの歳になって分かったことがある。それはね、相手の言葉や行為で感動したことは、ちゃんとその人に伝えることにしている。そうすると私が思っている以上にその方に喜んでもらえるんだよ。それがきっかけになって立ち直った方もいる・・・」「石ころ一つとってもすべて愛おしい、みんな違っているからいいんだよ・・・」石ころ一つ一つを念じながら文字を描いていくのも本当に楽しそう。とても79歳には見えない大志を胸に秘めた少年のようにさえ見えてしまう。

今日は、私と典子さん(整膚師)と3人で日が暮れるまでお仕事(御朱印書き)をしながら沢山のことを話した。ご住職や典子さんとの会話は、勿体ないほど心が癒されていくのが分かる。年齢を超えて、立場を超えて、共感し尊敬しあえる時間は夢のようでした。人として「生きる」ための人生訓を教えてくださっていたのかもしれない。

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