山下ふみこオフィシャルブログ

2016.01.30

静岡県産業振興財団って知っていますか? NO2

先月、静岡市にある産業振興財団へデザイン開発の相談へ行き、そこで企業のニーズによって色々の相談にのってくれることが分かる。
そこで1/29に静岡から視察に来て下さることになる。

かつて、富士市は製紙工業の町で、原町は繊維産業(服飾雑貨)が盛んであったという。
昭和20年代までは国内での産業であったが、20年代後半からはプリント技術が優勢になり、昭和30年代から20年間は海外への輸出が専門であり、隆盛を誇っていた時期もあったという。しかし、当時は東部地域で80社ほどあった服飾雑貨の繊維産業は今では20社にまで縮小されてしまったという。

今回の相談は今治タオルに負けないオンリーワンの製品ができないものか、かつての地域の花形産業としてのブランドづくりを試みようとしている。

この会社の加工技術は素晴らしく、昭和20年代のミシンがいまだに健在であり、ここでしかできない技術がある。しかも、50年以上携わっている方もいて、機械以上に精密に綺麗に縫い上げる技術を持っている。
しかし、技術を持っていても、結局メーカーの下請けで終始している現状では、仕事は忙しくてもなかなか厳しい経営状況にならざる得ない。
オンリーワンの製品を作りたいとは言え、、デザイナーも営業マンもいない中で、どうやってオリジナルのものを創り上げ、どうやって販路を見いだすのか、一小企業では大変難しいのが現実である。
今回、その想いに少しでもその可能性があるのかどうかも含めて、企業訪問をしていただくことになった。

いくら素晴らしい技術を持っていても、商社にたたかれて安くせざる得ない状況では、オリジナルな技術も生かせないまま、技術の継承者もいなくなってしまう危機感を持つ。何とか、その技術を活かしたオンリーワンの製品で地域ブランドしての販路拡大に結び付けることができないものか、一企業ではできないことも、他の企業とマッチングすればさらに可能性が広がっていくこともあるわけで、そいう意味では、この産業振興財団の持つあらゆるノウハウを県内企業が自社のために使わない手はないわけで、今回の訪問に大きな期待を寄せている。

2016.01.29

比叡山坂本 律院と千日回峰行

この日はとうとう宿坊に急遽泊まらせて頂き、翌日の護摩堂で、阿闍梨様による護摩木お焚き上げを見ることにした。
と言うのも、今年初めての不動明さまの初護摩木お焚き上げと言うことで、とても貴重な経験だからと勧められたこともあり、何かのご縁だと素直に従うことにした。

翌朝は5時に起きて、6時から始まるお護摩焚きに備えた。

阿闍梨様は1本、1本護摩木を確かめながら供養される。この時は千日回峰行の浩元様も一緒でした。
お焚き上げが終わると、阿闍梨様によるお加持がある。

★★お加持とは、仏の大悲の力と衆生の信心が相応ずること。
すなわち仏の力が行者に加えられ、行者がそれを信心によって感得し、両者が一体化すること。
お加持の受け方は、手と手の間で印を結び、胸の前で合わせます。
阿闍梨様により、お数珠で頭、両肩にトントンとあてて回られお加持を受けることができます。私は心の中で願意を唱える間もなく全てが終わり、心地よい緊張感の中にいた。

それから朝食を頂き、その後、浩元さまの処に連れていって下さった方のお陰で、一緒に会うことができました。

浩元様に「苦しい修行にダメだと思うことはありませんか?」と尋ねると、「ここに至るには全てを覚悟して入ったので、苦しいことも・・・」後は何と仰られたのかよく覚えていないが、その言葉を聞くうちに、覚悟の足りない自分に涙が溢れて・・・
そしたら、一緒に写真とりましょうか?と言って下さって・・・
阿闍梨様が何たるものかも知らずに、阿闍梨様や浩元様ともお話ができ、この間の出来事がまるで夢の中にいたような時間を過ごさせて頂きました。

2016.01.28

比叡山坂本 律院

1月25日~27日まで大津市の唐崎にあるJAIMで議員研修を受け、その最終日に知り合いの勧めで比叡山延暦寺に急遽行くことにした。唐崎駅から一駅のところにある比叡山だが、私はそのことも知らなかった。
JAIMの研修は毎回余裕がないほどカリキュラムが詰まっているので、終わった時はへとへとになり早く帰りたいのが先に立つ。
今回、勧められたのは延暦寺の麓にある律院さんを訪ねるようにと言われた。そこに着いた途端、多くの出会いが待っていた。あれよあれよと言う間に、私は宿坊に泊まることになる。

律院の門をくぐると、すぐに阿闍梨様に会うように段取りがされていた。延暦寺に足を踏み入れたことがない私は、まずは延暦寺に行きたいと阿闍梨様に言うと、「おーい、おーい」と小坊主さんをお呼びになって、私をお連れしなさいという。
そこに、「延暦寺に行くのなら、私が丁度そちらに行くので、車でお連れしましょう」と言って下さる方がいて、その方とご一緒することにした。
その方は千日回峰行に入っている浩元様にお米を届けに行くという。

延暦寺は雪深く、千日回峰行をなされている浩元さんの住まいはもっと雪深い処でした。「滅多にないことだから一緒に行きますか?」と誘って下さったので一緒に行くことにした。ブーツの私は雪の山道を滑らないように慎重に歩きながら40分間位歩いたでしょうか。

住まいはシーンと静まり返って、表札らしきものと苦行を共にした草履が軒先にかけられて・・・ただ犬がわんわん吠えたてていただけで人の気配はありませんでした。普段はほとんど一人で生活しているようです。
千日回峰行がどれだけ過酷なものなのか、以前テレビでその様子を見たきりだったのですが・・・
浩元さんは千日回峰行のちょうど5年目が終わり、9日間の堂入り(断食・断水・不眠・不臥)が終わったところで、今年から1日60kmの行程を100日間の苦行に入られるということです。

★★千日回峰行は7年間かけて行なわれる★★
1
年目から3年目までは、1日に約30キロの行程を毎年100日間。行者は定められた260カ所以上のすべてで立ち止まり、礼拝して、峰々を巡ります。
4
年目と5年目は、同じく1日30キロを、それぞれ200日間。
ここまでの700日を満じると、“堂入り”をむかえます。比叡山無動寺谷の明王堂に籠もり、9日間、断食・断水・不眠・不臥(食べず、飲まず、眠らず、横にならず)で不動真言を唱えつづけます。その回数は10万と言われ、満行すると阿闍梨と称され、生身の不動明王になるとされます。

6年目は、それまでの行程に加え、比叡山から雲母坂を下って赤山禅院へ至り、赤山大明神に花を供し、ふたたび比叡山へと上る往復が加わり、1日約60キロとなります。その100日は「赤山苦行」とも呼ばれ、行者の足でも14~15時間を要する厳しい行程です。

7年目は、200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山中から赤山禅院、さらに京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山中30キロをめぐり、千日の満行をむかえます。

次の日は不動明王様の今年最初のお護摩焚きがあるので、是非にと勧められ、結局この日は宿坊に泊まることにして夕食の精進料理を頂き、明日6時から始まるお護摩焚きに出ることにした。

2016.01.22

静岡県産業振興財団へ行く NO1

静岡県が100%出資の外郭団体の公益財団法人「静岡県産業振興財団」を訪ねる。ここは創業支援、経営支援、技術研究開発等の静岡県内中小企業の総合的な支援機関です。
今回、この財団に伺ったのは、ある会社の企業訪問をした時に、そこの技術に大変興味をもったことが発端である。会社の方も、下請けばかりではなく、何とか自社ブランドの製品を立上げたいと思っていたところです。
そこで、今回、私自身の勉強も含めて、何とか売れるオンリーワンの商品開発ができないものか、また売れる仕組み作りにも相談に乗ってもらえるのか等、率直に色々お話を伺うことができた。
本当にお世話になりました。

例えば、ある企業はスキルがあっても商品開発や販路開拓が分からない場合、どうしたらいいのか。
その事業の実現まで、ワンストップサービスでこれから取り組もうとする事業の支援が適当かどうかも含めてアドバイスをしてくれる。
また、多くの事例やネットワークを駆使し、事業者同士のマッチングも県内に限らず、広域的な視野に基づいて考えてくれるようなので、より可能性は広がっていく。
また地域活性化基金もあり、研究開発等に要する費用は補助するようで、またその時々で色々の助成金もある。
地元の商工会もそうだが、ここのように広域的な情報を持っているところで、親身に相談に乗ってくれるスタッフがいるので、安心して率直に質問もできる。
下の写真のグループは6つのセクションに分かれているが、一貫したサポート体制があるようなので、この支援機関を気軽に利用したらどうだろうか。

財団の訪問が終了し、次に向かったのは、静岡県中小企業診断士協会が取り組んだ事例発表である。企業の経営改善をお手伝いしてきた診断士によるもの。とても興味深く、企業診断士の役割が理解できた良い機会になった。
次回は1/27沼津で14:00~16:00 大手町のさんさんホール2Fである。

2016.01.16

第74回 香貫山清掃活動

2016年1/16、今年最初の香貫山影奉仕の活動です。またこれから1年皆さんと仲良く楽しく香貫山の自然保護も考えながらやっていきたいと思います。
よろしくお願いします。

丁度、市立高の陸上部の練習に遭遇し、2人の高校1年生の部員が一緒に手伝ってくれ、私たちの仲間は本当に嬉しそう。やはり、私たちの悩みも高齢化になっていくということ。枝の伐採や道の補修もあり、単にゴミ拾いだけではなくなっている。チェーンソウも使うので、その講習にも出かけたりしている。
今は市のアダプトプログラムに登録をしているので、保険や基本的な掃除用具は支給されるが、それらは全て消耗品ばかりで、それだけでは用は足せない。すべて自腹でやりくりをしているが、こういうボランティア活動が育っていくような仕組みができないものなのか・・・
三島のフォレストクラブの取り組みは面白いと思う。このような活動に育っていくには行政のバックアップが必要だと思うのだが・・・

この上でダブルクリック - ここにキャプションが入ります。

桜の小枝から、ほうきのように沢山枝分かれしている部分が、おそらくてんぐ巣。この部分には、花が咲かない。しかも、年々、木全体に感染していき花の数が極端に減ってしまう。

この病気は、タフリナ菌というカビの一種によって起こる伝染病。病原菌は菌糸の状態で枝の中で冬を越し、開花期に開いててんぐ巣枝の葉に侵入する。これらの葉は、5上旬には枯れてしまうが、ここから胞子が飛び散って、健全な枝に伝染。

この病気を防ぐ有効な方法は、てんぐ巣病にかかってしまった部分を外科手術で取り除く方法がとられる。
時期的には、冬から春にかけて、遅くとも開花前に切り取る。胞子が飛び散ってしまう前に。切り取った枝は、焼却処分するが。この防除方法はどうしても見落としてしまうので、2~3年続ける必要があるという。早い手当が必要になってくる。

2016.01.12

なないろの風・掛川に集合NO1

1/11掛川駅前に県内女性議員のグループ「なないろの風」が集合。駅から向かった先は、まず希望の丘。市立総合病院の跡地8haには医療・保健・福祉・介護・教育に関する施設が集合し「命」を育む拠点となる。昨年4/1「健康・子育て日本一」への新たな幕開けとして「希望の丘」が誕生した。

このエリアは、医療や福祉、子育ての施設が連携し合い、住み慣れた地域で最後まで暮らしていけるための体制整備を目指している。施設整備のハード面だけではなく、市内の各施設ともリンクし、さらには、市民との協働による機能向上にも繋がっている。

そこの一つに生活介護事業所「ぴのほーぷ」がある。医療的ケアが必要な人を含む重症心身障害のある人が日中に通う通所施設。床暖房で極力部屋の乾燥を防ぐようになっていたり、外からの採光、トイレ・お風呂も、利用者はもちろん介護する方にとっても、快適で負担を少なくする配慮が細かい処にまで考慮されている。
例えば、トイレは3種類あり、寝たままで出来るものもあり、高さはベッドからそのまま移動できるようになっている。

希望の丘ができたことで、地域医療の中核を担う中東遠総合医療センターと市内5カ所の地域医療支援センター「ふくしあ」と合わせ、市内全域に支援の手が届くようになり、地域包括ケアシステムの視点を取り入れた全国でも先駆的な地域完結型総合支援体制が整った。官・民・地域による協働のモデルゾーンとなっている。
医療・保健・福祉・介護・教育のゾーンとして、地域包括ケアシステム「掛川版・コンパクトシティ」が、この希望の丘から始まっている。(下記の図をクリック」

2016.01.02

2016年を迎えて

毎年1月1日は、勝部ファミリーと一緒に城山に上ります。
子どもたちは、その時々で学校や仕事や結婚で入れ替わります。
しかし、20年以上続く家族の恒例の元旦行事です。
こうして同じことが毎年継続できる幸せをつくづく噛みしめながら、お互いの健康と子どもたちの成長に感謝しました。
そして欲を言うならば、いつかは、孫も連れて一緒に登ってみたいと思います。

新年を迎えて

2015919日、「安保法制(戦争法)」が強行採決されました。

憲法の基本原理である恒久平和主義や立憲主義に反すると、学者や弁護士、研究者、学生、母親等の反対や疑問の声はますます大きくなっています。
戦争やテロに巻き込まれるリスクが高まる不安や懸念が払しょくできない中、私も「誰の子どもも殺させない」と、この戦争法の廃止を求めていきます。

民主主義は多数の力さえ獲得すれば、どんなことでもでき、一切の反対や批判を封じ込めてしまっても仕方がないと思っていませんか?
確かに多数決は民主的手続きの一つの方法ですが、少数派の意見にも十分耳を傾けることができなければ、それは多数の横暴となって、独裁政治体制を作り上げてしまいます。

今の国の政治は多数決論理が横行して、少数派の論理を無視して政治がおこなわれ、民主主義が機能せず、政治に不安や不信感が募っているように感じます。

 地方議会においても同様です。
本来、力の弱い者、声なき声を政治と言う場にすくいあげることが、私たちの役目だと思っていました。
そして、議会とは少数派の意見を尊重し、きちんと議論する場だと思っていましたが、実際は機能していないと感じています。

私は市民の声を政治の場に届け、そこで起きたことを市民に伝え、問題解決のために市民と共にその先頭に立ってきたと思っています。

 「私はぶれない、私はひるまない」と、ずっと変わらぬ姿勢で貫き通すことができたのは、皆様の支援があったからこそです。これからも一人ひとりが、より幸せに生きるための生活者起点の社会を目指していきます。
どうぞ今年もよろしくお願いします。

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